脱北者が語る北朝鮮の真実

北朝鮮の人権状況改善を目指す韓国のNGO団体PSCOREの日本配信ブログ

初めまして!PSCOREです!(私たちの団体紹介)

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初めて公開処刑を見たのは9歳の時でした。

初めて公開処刑を見たのは9歳の時でした

チュン・ヒュク(画家)/1998年脱北

もう一人の脱北者は7歳の時に見たようです。

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ある母親は保育所を信頼して3人の子供を預けました。しかし、3人とも餓死しました。

ある母親は保育所を信頼して、3人の子供を預けました。

しかし3人とも餓死しました。

チョン・スク(保育士)/2013年脱北

今の時代に餓死。しかも保育所で。

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死体を埋めるともっと食べ物が貰えるので誰かが死ぬとホッとする人もいます。だから誰かが死ぬと、その死体の横で働いている人は「今日はお腹いっぱい食べることができる」と言います。

死体を埋めると食べ物が貰えるので、誰かが死ぬとホッとする人もいます。だから誰かが死ぬとその死体の横で働いている人は「今日はお腹いっぱい食べることができる」と言います。

ウン・ジョン(第18強制収容所囚人)/2006年脱北

中には人肉を食べる人も。

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生き残る唯一の道は、北朝鮮から抜け出すことでした。

生き残る唯一の道は北朝鮮から抜け出すことでした

ソン・ヒ(銀行員)/2001年

それぞれの脱北者が壮絶なストーリーを抱えています。 

 

以上で紹介したコメントは全て北朝鮮がら脱出した人々、脱北者たちの経験談です。

北朝鮮では行方不明と判断されるとき、死亡と判断されるよりも恐ろしいとされています。その理由は「行方不明」が「脱北」を意味することとなるため残された家族にとって生き残ることが非常に厳しくなるからです。一方、もし脱北を試みて失敗した場合、選択肢は「死ぬ」と「残りの人生を政治犯用の強制収容所で過ごす」の二つに限られます。

 

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こんにちは!この度はPSCORE KoreaのインターンとしてHatena Blogで団体の活動内容を配信していきます。今日は「脱北者の真実」について実体験に基づいた短い文を書いてまいりました。今後もこのように北朝鮮韓半島の南北関係についてより詳しく読みやすいブログを運営していこうと思います。たくさんのご関心をお待ちしております!

 

<団体の紹介>

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PSCORE Korea 団体ロゴ

PSCOREは'People for Successful Corean Reunification' の略で、2006年に北朝鮮の元兵士によってソウルに設立された非営利、非宗教、無党派団体です。朝鮮半島の平和な統一を目指しており、2012年からは国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)と協力して北朝鮮の人権問題に取り掛かっている唯一のNGO団体として活動しています。

詳しくは PSCOREの日本語版公式ホームページ、http://pscore.org/about-us-ja/ を参照してください!